TANAKA DENSHI TWELVE #3
創業者からバトンを受け取った27歳の青年が、リスクと改革を恐れずに挑み続けた8年間。拡大と淘汰、現場の力、そして「運営品質日本一」という新たな指揮。
田中電子が歩んできた“数から質への転換”の物語。
創業者である父がステージ4Bの癌で余命半年と告げられたことをきっかけに、私は急ぎ社長に就任しました。就任後しばらくは会長・社長体制でしたが、2月に当時の右腕だった営業のトップが亡くなり、翌年4月末に父も亡くなりました。
結果として私は、いわば「お飛車落ち」の状態で本格的に経営がスタートしました。しかも、始まった直後に情報セキュリティに関わる重大事故が3連発で起こり、社外からも社内からも「新社長で大丈夫か」という目で見られていたはずです。
そのため、この時期はまずディフェンス面、つまりコンプライアンスやリスク対策を徹底し、ルール整備や体制づくり、現場トップの設計など、基礎固めに集中しました。体感ではおよそ1年ほどで一定の形が固まり、そこからようやく攻めに転じられる状態になりました。
基礎が固まった後は、店舗数の拡大が一気に進みました。社長就任当時は11店舗でしたが、出店や運営移管などを重ね、最終的には46店舗規模へと広がりました。体感としては7年ほどで4倍以上です。年によっては、2か月に1店舗のペースで増えていた時期もあります。
この期の中で特に大きかった出来事が、岩手県への進出でした。2020年、岩手で運営されていた店舗を4店舗まとめて運営移管することになり、店舗だけでなく法人営業のメンバーも含めて約40名が一気に加わりました。私の感覚では「国をひとつ得た」くらいのインパクトでした。
一方で、そのタイミングがちょうどコロナ禍と重なり、岩手は感染者ゼロの時期が長く、外部から入ること自体が難しい空気でした。私は社長として現地に行きたい気持ちがありましたが、アンケートを取ると「来てほしくない」という結果になり、対面ではなくWeb中心のコミュニケーションへ切り替えました。
それでも、現地へ赴任してもらったマネージャーや、移管後も残ってくれた店長・キーパーソンたちが中心となって現場が踏ん張ってくれました。結果として岩手の店舗は成績が急伸し、東北トップレベルに入るまで立ち上がりました。この一件で、私は改めて「現場の力」の強さを実感しました。千葉の本丸に負けない、追い越すという競争心が良い方向に働いた面もあったと思います。
急拡大と同時に、本部側の負荷も跳ね上がります。私が全員の顔と名前を把握して“感覚”で評価できた規模ではなくなり、評価・報酬制度を含めた管理体制を同時並行で整えていきました。本部は少数ですが、一人ひとりの能力と個性に支えられながら、なんとか回してきたというのが正直なところです。
現在は、数の拡大を続けつつも、改めて「運営品質」に向き合う期に入っています。急成長した分、荒削りな部分や歪みが出たのは事実だと思います。だからこそ、いまは品質を磨き直し、運営の中身をレベルアップさせていくことに重心を置いています。
その象徴が「運営品質 日本一」というビジョンです。日本一と言っても曖昧になりやすいので、私は4つの視点で定義しています。
①社員にとって日本一
指標化が難しい部分も多いのですが、まずは分かりやすいところとして「業界内の平均年収 日本一」を目指します。この業界の平均年収はもっと上がるべきだと考えていて、それを自社が先にやるべきだと思っています。
②取引先(キャリア)にとって日本一
販売代理店として求められるのは、生産性の高さです。キャリアはインフラや戦略に集中し、販売の現場は代理店が担う。だからこそ「キャリアにとって生産性 日本一」は逃げてはいけないテーマだと考えています。
③お客様にとって日本一
これも要素は多いのですが、まずはWebアンケートの回答率をトップレベルにするところから始めています。点数を追うと、回答してくれそうなお客様にだけ依頼するなどテクニックが入りやすいので、とにかく回答数を増やす。回答を増やすには、良い接客をしないとお願いしにくい。そうやって土台から品質を作っていく考え方です。
④会社にとって日本一
利益効率です。株式会社である以上、利益を求めるのは当然で、ここをこそこそせず堂々と掲げた方が良いと思っています。
この4つはバラバラではなく、全部がつながっています。年収を上げるには生産性が要る。品質も要る。利益効率も要る。結局は「当たり前のことを逃げずにやる」ことが、真の意味での品質日本一につながるというのが、私の結論です。
高校は卓球のスポーツ推薦で入りました。男子校でスポーツ推薦のクラスに入り、生活はほとんど卓球一色でした。
最低限の勉強はして卒業しましたが、正直、学業の比重はかなり小さかったと思います。好きだったのは数学くらいで、いわゆる「脳みそは理系寄りだけれど、進んだのは文系」という感覚に近いです。
ちなみに「日本一」という言葉自体は、私が田中電子に入社して1年ほど経った頃、会社のビジョンを作り直す中で掲げ始めました。
最初は正直、具体性が薄く「ルフィみたいなもの」だったと思います。けれど、最初は規模が必要だと考えて拡大し、今は運営品質の中身を4つの視点で具体化するところまで進んできています。
「なぜ日本一を目指すのか」という理由の部分は、今回は少し先に取っておき、また別の回でしっかり話す、という流れで締めています。
1990年生まれ。田中電子の二代目社長。27歳で社長就任後、第二創業期を牽引し、46店舗まで事業を拡大。創業40年以上の歴史と若い価値観を融合させ、通信キャリアショップ代理店として日本一を目指す。